映画好き女子小学生Vtuberになりたいよ~~~~~~~~~~(12月20日の日記)

 約1ヶ月半ぶりの日記投稿である。サボっていたというより書くネタが思いつかなかったので、しばらく放置していた。が、突然ネタを思いついたので、急遽日記を書いてみることにした。


Vtuberになりたい』

 本日の話題はこれである。憧れのVtuberに僕もなってみた~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~い!って話題。
 もしVtuberになれたら...って妄想をこれから考えてみよう。
 ではまず、ジャンルから。
 と言っても、ジャンルはもちろん映画だろう。ゲーム実況なんかは向いていないし、そもそもゲームできるような機材は無いし。
 その点、「映画」は比較的に楽である。動画の内容は映画のレビューと決まっているし、ゲームをする必要も無い。
 その代わり、トーク力は求められるが......

 キャラの設定を考えてみよう。
 個人的には...元気いっぱい天真爛漫な小学三年生の女の子になってみたい。自分とは似ても似つかない性格と容姿だけど、それが受肉というもの。きっとそう。
 「映画」と曖昧に括っても、その中には様々な個性がある。基本的に新作映画をレビューする人(これが一番メジャーで人気も稼げる。多分)や、Netflixやアマプラなどのサブスクで配信されている映画をレビューする人。
 それか、主にサメ映画などのカルト的人気を誇るジャンルをレビューする人など、一言で「映画」と言っても、その中には多くの個性があるのだ。
 さて、自分の個性はなんだろうか。個性を発揮できて、尚且つまだ被っていないジャンルの映画...

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......
『グリーン・エレファント』をレビューする小学三年生の女の子...
 まあ、個性は十分発揮されている。そして、誰とも被っていない。唯一無二の存在ではある。
 が、誰も『グリーン・エレファント』のレビューを求めていないと言われればそれまでである......

 いろいろ語ったが、そもそも受肉する身体も、その身体を依頼するお金も、動画制作の機材さえも何もかも揃っていない。Vtuberなんて、夢のまた夢の話である。
 まずはマイクとかパソコンとかを買わないとなぁ...と思い知ったのでした。
めでたしめでたし。

小学生の頃にハマっていた作品は数年を経ても忘れない(11月1日の日記)

 模試もテストも終わり、用事はしばらく無くなった。つまり、日記をサボる口実も無くなった。「勉強で忙しくて日記を書く時間が無い」と言い訳をできたが、模試もテストも終わった今ではその言い訳は通用しない。ということで、日記を再開する。

 

日記とか

youtu.be

 

 日記に関係したお話。

 小学生の頃に読んでいた『グレッグのダメ日記』がアニメ化するらしい。懐かしすぎて泣きそうになった。

 思えば、日記を書き始めたのは『グレッグのダメ日記』に影響された小学五年生の頃である。ちょうどその頃に本を読んで、「僕も日記を書きたい!」となった。本と同じように絵をつけたりなどしていたが、画力が無い時点で……まあ、地獄のような日記帳になった。

 小学六年生の頃に破り捨てた。突然恥ずかしくなったのだ。

 そしてしばらく日記を書かない日々が続いたが、現在はこうして日記をつけている。そして同時に、『グレッグのダメ日記』がアニメ化された。

 

 『グレッグのダメ日記』もだが、最近小学生の頃にハマっていた作品のブームが再来している。

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 RWBYである。こちらも小学五年生か六年生の時期にハマったアニメだが、ちょうどハマった時期に日本での配給が一切無くなり、日本だけ5期以降が一切見られない時期が続いた。

「このまま死んじゃったのか」と日本での配給は絶望的に思われたが、なんと最近、突然日本での配給が再開した。嬉しすぎる。

 

 また、小学六年生の頃に見て心に深い傷を負わせた『結城友奈は勇者である』シリーズの新作も始まった。本当に嬉しい。小学六年生でわすゆを見て、それ以来ずっとトラウマを抱えていたが……大満開の章の「あの話」僕の心も救われたのである。

 

『グレッグのダメ日記』『RWBY』『結城友奈は勇者である』など、小学生の頃にハマった作品が高校生になってから次々に復活している。一ファンとして嬉しいことこの上ない。

 僕が大人になった時、今ハマってる作品が数年を経て復活することはあるのだろうか……そう考えると、一気に「エモ」の波が押し寄せてきた。数年後も映画は好きでいるだろうか。

冷たい風にエモを感じたくて(10月27日の日記)

 最近、風が冷たい季節になってきた。ただでさえ気温も低く身体が冷えるのに、トドメを刺すように冷たい風が吹いてくる。地獄か。

 いつも昼食後、歯磨きをするために外の水道を使う。外にしか水道がないのだから仕方ない。身体を震わせながら歯磨きをしていると、追い討ちをかけてくるように冷たい風が僕目掛けて吹いてくるのだ。最悪である。

 

 しかし、ふとあることを思いついた。「風にエモを感じれば冷たい風も好きになれるのでは?」と。青春のエモやそういうのが好きだから、きっと風にエモを感じれば風も好きになれるはずである。早速、エモを考えてみよう。

 

夏の風

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 夏に吹く風は最高だ。気温が高い中吹いてくれる風は、一種のオアシスである。外にエアコンが設置されているわけが無いから、たまに吹いてくれる風が唯一涼しくしてくれる。しかも、かなりエモい。

 夏のエモと言えば大抵「一夏の思い出」だろう。出会いの形は様々だが、ひょんなことからある少女と出会い……そうして仲良くなり、楽しく過ごしているうちになんやかんや起こるのだ。最終的に主人公と少女は別れることになるが、別れる直前にキスをしたらさいっこうにエモい。呆然と突っ立ってる中、少女は笑顔で「それじゃあ、またね」と手を振って向こうへ去っていく情景がありありと思い浮かべられる。

 

 その情景には大抵風が付与される。麦わら帽子をかぶっていたり、白いスカートを着ている少女には風がよく似合う。麦わら帽子が飛ばされそうになって頭を押さえたり、スカートが捲れないように押さえたりする少女の姿は、間違いなく「エモ」だろう。これは間違いなくエモである。

 

 だが、冬の寒い風はあまりエモを感じられない。「冬」という季節自体、エモ要素が少ない気がするのだ。もちろん、冬にもエモは眠っている。雪遊びだったり卒業だったりと、要素だけで言えば「かなりエモ」な方に入るエモも存在する。しかし、どうも「夏」に比べると全体的なエモが劣っている気がしなくもない。

 

 個人的に感じる冬のエモは、ハルヒのストーブを買いに行く話だろうか。あれはまさに「エモ」を感じる。

 乾いた空気感に、全体的に暗めな雰囲気。楽しい日常も終わりが見え始め「別れ」を意識してしまう季節。寒さに震えながら歩く主人公の様子はまさに「エモ」以外の何物でもない。

 だが、現実でこのエモを感じるのはなかなか難しい。僕が高校三年生だったら、間違いなく寒い風も「エモ」認定していたと思う。あと数ヶ月で、この校舎とも友達とも会えなくなる。そう考えながら、身体を震わせて歯磨きをするのは完全に「エモ」だ。

 だけど、高校三年生になるまであと二年間も残っている。「終わり」までめちゃくちゃ遠い位置に立っているのだ。まだ感じることすらできない。

 

 今はただの苦痛でしかないこの風も、高校三年生になれば好きになれるのだろうか……

冷たい風にエモを感じたくて(10月27日の日記)

 最近、風が冷たい季節になってきた。ただでさえ気温も低く身体が冷えるのに、トドメを刺すように冷たい風が吹いてくる。地獄か。

 いつも昼食後、歯磨きをするために外の水道を使う。外にしか水道がないのだから仕方ない。身体を震わせながら歯磨きをしていると、追い討ちをかけてくるように冷たい風が僕目掛けて吹いてくるのだ。最悪である。

 

 しかし、ふとあることを思いついた。「風にエモを感じれば冷たい風も好きになれるのでは?」と。青春のエモやそういうのが好きだから、きっと風にエモを感じれば風も好きになれるはずである。早速、エモを考えてみよう。

 

夏の風

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 夏に吹く風は最高だ。気温が高い中吹いてくれる風は、一種のオアシスである。外にエアコンが設置されているわけが無いから、たまに吹いてくれる風が唯一涼しくしてくれる。しかも、かなりエモい。

 夏のエモと言えば大抵「一夏の思い出」だろう。出会いの形は様々だが、ひょんなことからある少女と出会い……そうして仲良くなり、楽しく過ごしているうちになんやかんや起こるのだ。最終的に主人公と少女は別れることになるが、別れる直前にキスをしたらさいっこうにエモい。呆然と突っ立ってる中、少女は笑顔で「それじゃあ、またね」と手を振って向こうへ去っていく情景がありありと思い浮かべられる。

 

 その情景には大抵風が付与される。麦わら帽子をかぶっていたり、白いスカートを着ている少女には風がよく似合う。麦わら帽子が飛ばされそうになって頭を押さえたり、スカートが捲れないように押さえたりする少女の姿は、間違いなく「エモ」だろう。これは間違いなくエモである。

 

 だが、冬の寒い風はあまりエモを感じられない。「冬」という季節自体、エモ要素が少ない気がするのだ。もちろん、冬にもエモは眠っている。雪遊びだったり卒業だったりと、要素だけで言えば「かなりエモ」な方に入るエモも存在する。しかし、どうも「夏」に比べると全体的なエモが劣っている気がしなくもない。

 

 個人的に感じる冬のエモは、ハルヒのストーブを買いに行く話だろうか。あれはまさに「エモ」を感じる。

 乾いた空気感に、全体的に暗めな雰囲気。楽しい日常も終わりが見え始め「別れ」を意識してしまう季節。寒さに震えながら歩く主人公の様子はまさに「エモ」以外の何物でもない。

 だが、現実でこのエモを感じるのはなかなか難しい。僕が高校三年生だったら、間違いなく寒い風も「エモ」認定していたと思う。あと数ヶ月で、この校舎とも友達とも会えなくなる。そう考えながら、身体を震わせて歯磨きをするのは完全に「エモ」だ。

 だけど、高校三年生になるまであと二年間も残っている。「終わり」までめちゃくちゃ遠い位置に立っているのだ。まだ感じることすらできない。

 

 今はただの苦痛でしかないこの風も、高校三年生になれば好きになれるのだろうか……

百合営業に可能性を見いだせ!(10月25日の日記)

 最近Vtuberにハマった。スパチャをするほど熱心なファンになったわけではないが、暇な時があれば好きなVtuberの配信を見るぐらいにはハマった。

 よく見ているのは月ノ美兎とcrossickコンビぐらい。両者とも、ある一つの共通点がある。そう、両者とも百合創作が沢山溢れているのだ。

 

百合営業

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 かえみとである。美兎と楓のCPの略称だ。

 個人的に一番好きなCPだが、「ガチ」では無いことはもちろんわかっている。二人の間には固い友情が流れている(というかJK組の間には固い絆があるのだ)が、それが恋愛感情では無いことはみんな理解している。言わば、百合営業の関係性なのだ。

 

 さて、ここからはただの妄想である。

 百合営業から始まる百合って面白そうじゃないか?と考えた。

 主人公はネットで人気のVtuber。個人勢で日々気ままに配信生活を送っていたが、ある日別の人気Vtuberとコラボすることになって……から二人の関係は始まるのだ。

 ファンからは「百合営業」と言われながらも、実はオフで実際に会っていて……というのも悪くは無い。最終的に結婚したら面白い。「本当だったの!?」と驚かれながらも、ファンみんなから祝福してもらって。結婚式後、二人でこれまでの過程とかを配信で語っていたらめちゃくちゃ面白い。僕なら間違いなくファンになる。

 

 でもまあ、現実ではそんなことは起こり得ないのだ。crossickだけはわからないが、それ以外のCPは百合営業の範囲を出ないだろう。現実はそんなもんなのだ……

 だけどやはり、百合営業だとしても面白いものは面白い。「友人」の関係性だとしても、瑞緒に相手への信頼とか、そういうものが垣間見えるシーンがあるし。

 

 Vtuberという存在自体が虚構なわけだから、関係が虚構であっても何も問題は無いのだ。逆に、今は虚構の身体を使っているのに現実に寄りすぎている気もする。Vtuberには中身はいるが、Vtuberという存在自体は一瞬のキャラクターなのだ。アニメや漫画と同じキャラクター。

 虚構のキャラクターから生み出された虚構の関係性を摂取して生きていく。

 

 それはそれとして、かえみとは面白い。これからもJK組が長く続いていきますように……と思いながら眠りについた。おやすみなさい。

ロクでもない創作人生を振り返ろうよの会(10月22日の日記)

 ここ数日間日記を投稿していなかった。というのも理由があって、久しぶりに短編を執筆していたのだ。執筆のスピードがかなり遅いからまだ序盤で止まっているが……

 今書いている短編は、数年前に中学1、2年生の時に書いていた小説のリメイクである。リメイクというよりか、お気に入りのシーンを一つだけ抜粋して書き直している感じ。

 執筆を進めているうちに、「自分の創作人生について振り返ってみようかな」と考えた。高校生という一つの節目を迎えたから、小学生と中学生の創作人生を一旦振り返ってみようと。

 

小学六年生

 ノートに小説を書き始めた。これが自分の創作人生の始まりであった。

 その頃は検索してはいけない言葉にハマっていて、『終わらない夏休み』『茜の悲劇』『妖精であそぼう』などの拷問系を自分でも書いてみたいと思ったのがきっかけであった。今考えるとどうかしているとしか思わないが……

 誘拐された少女が男二人に嬲られ痛めつけられるパートが物語の軸になり、「何故少女は誘拐されたのか」が明かされる過去パートや、捜査を進める警察パートなどに物語が分かれて進んでいく。

 今思い返してみても、アイデアは面白そうである。だが、所詮は小学生が書いた小説であり、しかもこれが人生初の執筆なのだ。ロクなものでは無い。

 男子の間では人気を博した。「続きはまだか」と友達が押し寄せてきたりして、自分はすっかり人気の小説家になったかのように思いこめた。結局、書き終わって友達が最後まで読んだ後、ゴミ箱に捨てた。「残しておけばよかったな」と後悔しているが、残したら残したで「絶対に開けない魔のノート」に化していた。

 黒歴史ノートは、捨てても残しても後悔するのだ。

 

中学生

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 ネットに投稿を始めた。

 あの頃の僕は非常に愚かで、「僕も異世界ものを書いたら人気になるかな」という安直な発想で異世界ものを書き始めた。が、王道的なファンタジーにするのは嫌だったので(逆張りオタクだから)異世界を舞台にした百合戦争ものを書いた。明らかに『幼女戦記』に影響されていたのは言うまでもない。

 政治、戦争の知識が無い子供に戦争ものの小説なんて書けるわけもなく、馬鹿みたいなあらすじに馬鹿みたいに辻褄が狂った物語など、まあ酷い出来であった。

 その頃、調子に乗った僕は入っていた淫夢グループで宣伝をした。そして、人生で初めて赤の他人から感想をもらえた。

 

「ゾッ帝より少しマシ」

 

 一瞬にして心が打ち砕かれた。今でも忘れられないくらいには、この言葉が脳裏に焼き付いている。

 それまでの僕は、誰かから厳しい感想をもらう経験なんて無かったのだ。小学生の友達が書いた小説を読んだところで、「これつまらないよね」と厳しい言葉を面と向かって投げかけられるわけが無い。つまり、ぬるま湯に浸かった環境で育ってきた。

 挫けずに(できるだけ)毎日投稿していると、読んでくれる人も少し増えた。相変わらず文章も物語も酷いものであったが、「ここの文章はこうした方が良いよ」とアドバイスしてくれる人や「主人公の名前ってつまり……こういう意味なのでは!?」と考察してくれる人もいた。考察要素なんて全く考えていなかったから、「すげえなぁ」と思わされた。

 

 中学二年生の半ば。連載していた異世界ものを消した。ここでようやく、自分の物語の酷さに気がついたのだ。気がついた途端に顔が赤くなるくらいに赤面し、すぐに消した。

 そして、新たに書き始めた。

「連載物は苦手だから短編にしよう」「異世界だと全部自分で考えないといけなくなるから、現実を舞台にしよう」「百合にしよう」という縛りを自分に課した。その結果、今のスタイルにも繋がる物語が完成した。

『10月16日』というタイトルで、なんてことない日常と突然やって来る悲劇、そして再生……と、今までの路線とはかけ離れた物語を書いた。文字数は三万字を超え、自分の中でも「やり切った!」という達成感に満たされた。

 

中学三年生。

 久しぶりに連載物を書こう、と思い執筆を再開した。異世界に転移した少女と奴隷少女の旅を描く百合だが、書いている途中で「これ『キノの旅』の二番煎じだな?」と思い削除した。物語の後味の悪さも、『キノの旅』に引っ張られてできたものであった。

 十一月頃にフォロワーさんから「百合小説コンテストってものがあるけど応募する?」と言われた。そもそも存在自体を知らなかったから調べてみると非常に魅力的なコンテストであった。迷わず参加を決意した。

 投稿したのは『10月16日』のリメイク。視点変更や物語の構造自体を変えて、新たに再構築した。書き始めたのが十二月で、締め切りが一月末。僅か二ヶ月しかなかった。

 なんとか書きおわり投稿した。文字数はなんと約七万字。

 結果は一次落ち。ちょっとでも一次通過を期待した自分が恥ずかしくなった。

 

 そして、今に至る。

 小説家としての知名度微塵も無いし、文章力が上がったのかすらも定かではない。

 中学生の頃に一緒に執筆をしていた友達もみんな執筆を止めて今では僕一人だけになった。辛うじて、執筆を進めているフォロワーさんがいるぐらいか。

 これからも心が折れない限りは創作活動を続けていきたい。いつか心が折れてパッタリと創作を止めるまでは、創作を続けていきたいなぁ……

ロクでもない創作人生を振り返ろうよの会(10月22日の日記)

 ここ数日間日記を投稿していなかった。というのも理由があって、久しぶりに短編を執筆していたのだ。執筆のスピードがかなり遅いからまだ序盤で止まっているが……

 今書いている短編は、数年前に中学1、2年生の時に書いていた小説のリメイクである。リメイクというよりか、お気に入りのシーンを一つだけ抜粋して書き直している感じ。

 執筆を進めているうちに、「自分の創作人生について振り返ってみようかな」と考えた。高校生という一つの節目を迎えたから、小学生と中学生の創作人生を一旦振り返ってみようと。

 

小学六年生

 ノートに小説を書き始めた。これが自分の創作人生の始まりであった。

 その頃は検索してはいけない言葉にハマっていて、『終わらない夏休み』『茜の悲劇』『妖精であそぼう』などの拷問系を自分でも書いてみたいと思ったのがきっかけであった。今考えるとどうかしているとしか思わないが……

 誘拐された少女が男二人に嬲られ痛めつけられるパートが物語の軸になり、「何故少女は誘拐されたのか」が明かされる過去パートや、捜査を進める警察パートなどに物語が分かれて進んでいく。

 今思い返してみても、アイデアは面白そうである。だが、所詮は小学生が書いた小説であり、しかもこれが人生初の執筆なのだ。ロクなものでは無い。

 男子の間では人気を博した。「続きはまだか」と友達が押し寄せてきたりして、自分はすっかり人気の小説家になったかのように思いこめた。結局、書き終わって友達が最後まで読んだ後、ゴミ箱に捨てた。「残しておけばよかったな」と後悔しているが、残したら残したで「絶対に開けない魔のノート」に化していた。

 黒歴史ノートは、捨てても残しても後悔するのだ。

 

中学生

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 ネットに投稿を始めた。

 あの頃の僕は非常に愚かで、「僕も異世界ものを書いたら人気になるかな」という安直な発想で異世界ものを書き始めた。が、王道的なファンタジーにするのは嫌だったので(逆張りオタクだから)異世界を舞台にした百合戦争ものを書いた。明らかに『幼女戦記』に影響されていたのは言うまでもない。

 政治、戦争の知識が無い子供に戦争ものの小説なんて書けるわけもなく、馬鹿みたいなあらすじに馬鹿みたいに辻褄が狂った物語など、まあ酷い出来であった。

 その頃、調子に乗った僕は入っていた淫夢グループで宣伝をした。そして、人生で初めて赤の他人から感想をもらえた。

 

「ゾッ帝より少しマシ」

 

 一瞬にして心が打ち砕かれた。今でも忘れられないくらいには、この言葉が脳裏に焼き付いている。

 それまでの僕は、誰かから厳しい感想をもらう経験なんて無かったのだ。小学生の友達が書いた小説を読んだところで、「これつまらないよね」と厳しい言葉を面と向かって投げかけられるわけが無い。つまり、ぬるま湯に浸かった環境で育ってきた。

 挫けずに(できるだけ)毎日投稿していると、読んでくれる人も少し増えた。相変わらず文章も物語も酷いものであったが、「ここの文章はこうした方が良いよ」とアドバイスしてくれる人や「主人公の名前ってつまり……こういう意味なのでは!?」と考察してくれる人もいた。考察要素なんて全く考えていなかったから、「すげえなぁ」と思わされた。

 

 中学二年生の半ば。連載していた異世界ものを消した。ここでようやく、自分の物語の酷さに気がついたのだ。気がついた途端に顔が赤くなるくらいに赤面し、すぐに消した。

 そして、新たに書き始めた。

「連載物は苦手だから短編にしよう」「異世界だと全部自分で考えないといけなくなるから、現実を舞台にしよう」「百合にしよう」という縛りを自分に課した。その結果、今のスタイルにも繋がる物語が完成した。

『10月16日』というタイトルで、なんてことない日常と突然やって来る悲劇、そして再生……と、今までの路線とはかけ離れた物語を書いた。文字数は三万字を超え、自分の中でも「やり切った!」という達成感に満たされた。

 

中学三年生。

 久しぶりに連載物を書こう、と思い執筆を再開した。異世界に転移した少女と奴隷少女の旅を描く百合だが、書いている途中で「これ『キノの旅』の二番煎じだな?」と思い削除した。物語の後味の悪さも、『キノの旅』に引っ張られてできたものであった。

 十一月頃にフォロワーさんから「百合小説コンテストってものがあるけど応募する?」と言われた。そもそも存在自体を知らなかったから調べてみると非常に魅力的なコンテストであった。迷わず参加を決意した。

 投稿したのは『10月16日』のリメイク。視点変更や物語の構造自体を変えて、新たに再構築した。書き始めたのが十二月で、締め切りが一月末。僅か二ヶ月しかなかった。

 なんとか書きおわり投稿した。文字数はなんと約七万字。

 結果は一次落ち。ちょっとでも一次通過を期待した自分が恥ずかしくなった。

 

 そして、今に至る。

 小説家としての知名度微塵も無いし、文章力が上がったのかすらも定かではない。

 中学生の頃に一緒に執筆をしていた友達もみんな執筆を止めて今では僕一人だけになった。辛うじて、執筆を進めているフォロワーさんがいるぐらいか。

 これからも心が折れない限りは創作活動を続けていきたい。いつか心が折れてパッタリと創作を止めるまでは、創作を続けていきたいなぁ……